チェンバロって、ピアノと比べると、音的にかなり「喧しい」と思う。だから愉しく、そしてときに激しく響く。曽根麻矢子の弾くJ.S.バッハ「イギリス組曲第2、3、6」(ERATO)はそんなチェンバロ独特の響き──愉悦と迫力に満ちている。2番のブーレやジーグはちょっとおどけた感じが実に面白く愉しい。打って変わって、6番のプレリュードは素晴らしく劇的だ。技巧的に冴えも効いている。そして最後のジーグ。これは壮絶と言ってもよいだろう。実はこれを聴いて、僕はチェンバロの表現力の凄さを実感したのだった。改めて聴いて、やっぱり凄い。
土曜日, 4月 12, 2003
アンサンブル・モデルンによるジェルジュ・クルターグ曲集(György Kurtág "Song Cycles", SONY CLASSICAL)。ツィンバロンがじゃらじゃらと掻き鳴らされる「Message of the Late Miss R.V.Troussava, Op.17」が強烈だ。色彩的でエキゾチックな伴奏を背景に、ソプラノがエネルギッシュにギャーギャーと叫びまくる。ちょっとシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』みたいな感じ。
とくに第二集「A Little Erotic」の第一曲「Heat」。刺激的な題名そのままで、まさにエロティックにヒートする。かなりの高音で、微妙な音程を変化させること自体が最高に超絶技巧なのであるが──しかもかなり息が長い──高音から一挙に下がってくるとき、まるで悪意めいた「哄笑」になっているのがとても印象的で、一度聴いたら忘れられない。クルタークの「音響」は面白すぎる。
とくに第二集「A Little Erotic」の第一曲「Heat」。刺激的な題名そのままで、まさにエロティックにヒートする。かなりの高音で、微妙な音程を変化させること自体が最高に超絶技巧なのであるが──しかもかなり息が長い──高音から一挙に下がってくるとき、まるで悪意めいた「哄笑」になっているのがとても印象的で、一度聴いたら忘れられない。クルタークの「音響」は面白すぎる。
木曜日, 4月 10, 2003
デュラン・デュラン『ニュームーン・オン・マンデイ』のPVの冒頭のセリフ。あれがクルト・ワイルの『三文オペラ』から取られているのを知ったのはずっと後のこと。マウチェリー指揮RISAシンフォニアのCD(DECCA)を聴いたときだ。あー、あれがそうだったのか、と思ったのも束の間、次の「マック・ザ・ナイフ」(メッキース)のメロディーを聴いて、これも聴いたことがあるぞ!そして「大砲ソング」も、と狂喜した次第。
『三文オペラ』ってほんとうにいろいろなところで耳にしていた。ワイルの音楽だというのを知らなくても『三文オペラ』の「ナンバー」はいろいろな歌手が歌っている。マウチェリー盤は由緒正しきワーグナー歌手ルネ・コロに、ポップス界の女王的存在のミルバ、それにマレーネ・デードリッヒの再来のようなウテ・レンパーという異色のメンバーの共演が興味深かった。
しかしそれにも増して僕が気に入っているのが、アンサンブル・モデルン盤(BMG)。なんといっても現代音楽の精鋭集団のアンサンブルモデルンが「わざと下手に聞えるように」(なんといっても「三文オペラ」なのだし)最強のテクニックを披露しているのが、ニクイ。そこにロック歌手のニナ・ハーゲン(ピーチャム夫人役)の毒々しいシャウトが絡み、異様だけととても面白い演奏になっている。また、マウチェリー盤ルネ・コロの堂々としたメッキースと違って、モデルン盤ではMax Raabeがいかにも優男的だし、同じく、ミルバのようなドスの効いた低音ではなくて、可憐でちょっと甘えた感じのTimna Brauserのジェニーがいかにも「らしく」て愉しい。二人のデュエット「Pimps' Ballad」なんかは本当に安っぽくて、まさに「三文オペラ」的、戸梶圭太的「激安」な世界が繰り広げられる。
『三文オペラ』ってほんとうにいろいろなところで耳にしていた。ワイルの音楽だというのを知らなくても『三文オペラ』の「ナンバー」はいろいろな歌手が歌っている。マウチェリー盤は由緒正しきワーグナー歌手ルネ・コロに、ポップス界の女王的存在のミルバ、それにマレーネ・デードリッヒの再来のようなウテ・レンパーという異色のメンバーの共演が興味深かった。
しかしそれにも増して僕が気に入っているのが、アンサンブル・モデルン盤(BMG)。なんといっても現代音楽の精鋭集団のアンサンブルモデルンが「わざと下手に聞えるように」(なんといっても「三文オペラ」なのだし)最強のテクニックを披露しているのが、ニクイ。そこにロック歌手のニナ・ハーゲン(ピーチャム夫人役)の毒々しいシャウトが絡み、異様だけととても面白い演奏になっている。また、マウチェリー盤ルネ・コロの堂々としたメッキースと違って、モデルン盤ではMax Raabeがいかにも優男的だし、同じく、ミルバのようなドスの効いた低音ではなくて、可憐でちょっと甘えた感じのTimna Brauserのジェニーがいかにも「らしく」て愉しい。二人のデュエット「Pimps' Ballad」なんかは本当に安っぽくて、まさに「三文オペラ」的、戸梶圭太的「激安」な世界が繰り広げられる。
水曜日, 4月 09, 2003
今日も帰宅が11時過ぎてしまったが、ムソルグスキー『展覧会の絵』の中の「キエフの大門」を弾く。やっぱりオクターブ/和音をガンガン鳴らすのはストレス解消になる。ラフマニノフのプレリュード1番しかり、ブラームスのラプソディ2番しかり。
ちょっとセンチメンタルなメンデルスゾーンの「アルバムの一葉」はちょっと指がもつれて思うように弾けないな。週末にでもきちんとさらおう。
今聴いているのは、リリヤ・ジルベルシュタインのリスト曲集。「バッハのテーマによる幻想曲とフーガ」がすごくかっこいい。バッハの綴り”BACH”はそのまま「音名」になるので、これをテーマにしたもの。シューマンの「アベッグ変奏曲」も同じ発想だが、リストは厳格な、何重にも仕組まれたフーガとピアノのヴィルトゥオジティで勝負する。ジルベルシュタインもスケールの大きい演奏を聴かせる。彼女の確かなテクニックはバラード2番でも同様、素晴らしいプレゼンを披露し、なんといっても低音のスケールが荒々しく情熱的に響き渡る。やはりかっこいいの一言。
一時DGから集中的にリリースされていたジルベルシュタインのCDだが、最近はぜんぜん見かけない。どうしたんだろう。
ちょっとセンチメンタルなメンデルスゾーンの「アルバムの一葉」はちょっと指がもつれて思うように弾けないな。週末にでもきちんとさらおう。
今聴いているのは、リリヤ・ジルベルシュタインのリスト曲集。「バッハのテーマによる幻想曲とフーガ」がすごくかっこいい。バッハの綴り”BACH”はそのまま「音名」になるので、これをテーマにしたもの。シューマンの「アベッグ変奏曲」も同じ発想だが、リストは厳格な、何重にも仕組まれたフーガとピアノのヴィルトゥオジティで勝負する。ジルベルシュタインもスケールの大きい演奏を聴かせる。彼女の確かなテクニックはバラード2番でも同様、素晴らしいプレゼンを披露し、なんといっても低音のスケールが荒々しく情熱的に響き渡る。やはりかっこいいの一言。
一時DGから集中的にリリースされていたジルベルシュタインのCDだが、最近はぜんぜん見かけない。どうしたんだろう。
火曜日, 4月 08, 2003
今、モニク・アースのラヴェルを聴いている。決してヴィルトゥオーゾではないし、とりたてて個性的な演奏ではないのだが、モニク・アースというピアニストの弾くラヴェルはとても気に入っている。もちろん『夜のガスパール』には情熱的なアルゲリッチやまさに個性的なポゴレリッチ、『クープランの墓』の「トッカータ」なんかはディボーデのキレやパスカル・ロジェのスピード感をウリにしたもの、『高雅で感傷的なワルツ』は強烈な打鍵のアルゲリッチなど多士多彩なCDがある。
でも、モニク・アースのラヴェルは、味があるというか「雰囲気」があるというか、つまり「印象批判」でしか語ることのできない魅力がある。技術的な洗練を競い合うのではなく、しかも洗練された言葉で批評される「対象」でもなく、言わずがもなな「雰囲気」、音楽。
『ハイドンの名によるメヌエット』なんかとてもいい雰囲気を醸し出している。
でも、モニク・アースのラヴェルは、味があるというか「雰囲気」があるというか、つまり「印象批判」でしか語ることのできない魅力がある。技術的な洗練を競い合うのではなく、しかも洗練された言葉で批評される「対象」でもなく、言わずがもなな「雰囲気」、音楽。
『ハイドンの名によるメヌエット』なんかとてもいい雰囲気を醸し出している。
月曜日, 4月 07, 2003
今さらであるが、渋谷の古書センターの2階がリニューアルしてとても洒落た感じになった。品揃えも妙に気になるものばかり。で、現代思想1973/8号「特集=ケレーニイ/新しいギリシア像の発見」とエピステーメー11「仮面・ペルソナ」を手に入れた。どちらもプラトン関係の記事がめあて。
カール・ケレーニイ「饗宴の大いなるダイモン」(現代思想)には”不屈のプラトン学者ディオニュス・ケヴェンディに捧ぐ”というケレーニイの献呈がなにより心強い。また、エピステーメーの方にはジル・ドゥルーズの「模像 プラトニスムを逆転させる」が載っている。ちょっとだけ読み始めたドゥルーズの方は、たしかに難しいのだが、すごく気になることが書いてあって、まさに目からウロコ状態。すなわち「プラトニスムを逆転する、とはこれとは逆にこの動機を白日の下に晒し、プラトンがソフィストを駆逐するようにこの動機を《駆逐する》意味でなければならない」(杉本紀子訳)。これは「差別作家」を臆面もなく「宣伝」している人たちに抗するための一つの戦略になるかもしれない。精読しよう。
カール・ケレーニイ「饗宴の大いなるダイモン」(現代思想)には”不屈のプラトン学者ディオニュス・ケヴェンディに捧ぐ”というケレーニイの献呈がなにより心強い。また、エピステーメーの方にはジル・ドゥルーズの「模像 プラトニスムを逆転させる」が載っている。ちょっとだけ読み始めたドゥルーズの方は、たしかに難しいのだが、すごく気になることが書いてあって、まさに目からウロコ状態。すなわち「プラトニスムを逆転する、とはこれとは逆にこの動機を白日の下に晒し、プラトンがソフィストを駆逐するようにこの動機を《駆逐する》意味でなければならない」(杉本紀子訳)。これは「差別作家」を臆面もなく「宣伝」している人たちに抗するための一つの戦略になるかもしれない。精読しよう。
日曜日, 4月 06, 2003
B・A・ツィンマーマン Bernd Alois Zimmermann "Antiphene / Ommia tenpus habent / Presence" (BMG)を聴く。演奏はアンサンブル・モデルン。これはまさしくアヴァンギャルドな響き。プレザンスでプロコフィエフが引用されているのはいつ聴いても驚く。まあこれはツィンマーマン特有の引用やパロディで、音楽的には「時間構造の多層性」を狙ったものだという。『作曲の20世紀』(音楽之友社)によると、ツィンマーマンはベルクソン哲学やフッサールの現象学に深く影響を受け、未来、過去、現在の「時間把握」に取り組んだということだ。ひさしぶりにツィンマーマンを聴きたくなったのは、今読んでいるハイデガー関係の繋がりだ(ハイデガーも、あんなわけわからん言葉を使って、またそんなに言葉に拘泥しなくても、素直に時間を操作する芸術=音楽/作曲すれば良かったんじゃないかと思う。ツィンマーマンの「プレザンス( Presence)」みたいなことをやりたかったんじゃないのか、ハイデガーって?)
それとツィンマーマンはメシアンと同じ熱烈なカトリック信者なのだが、メシアンと同様、その作品はかなりいかがわしい「響き」を獲得している。前述の『作曲の20世紀』ではツィンマーマンの作品を「宗教的敬虔さと卑俗でカーニバル的な破天荒が同居していた」と指摘している。これもメシアンと近い。しかもツィンマーマンはカトリックでは罪である「自殺」をしている。不思議な作曲家だ。
それとツィンマーマンはメシアンと同じ熱烈なカトリック信者なのだが、メシアンと同様、その作品はかなりいかがわしい「響き」を獲得している。前述の『作曲の20世紀』ではツィンマーマンの作品を「宗教的敬虔さと卑俗でカーニバル的な破天荒が同居していた」と指摘している。これもメシアンと近い。しかもツィンマーマンはカトリックでは罪である「自殺」をしている。不思議な作曲家だ。
土曜日, 4月 05, 2003
「積読」という言葉があるのなら、「積聴」というのもあってもいいだろう。というわけで、少し前に買ったローレムの室内楽曲集(NAXOS)をやっとまともに聴いた。やっぱりローレムはいいなあ。弦楽四重奏曲のレビューでも書いたけど、ローレムの音楽って聴きやすくて、適度にエキサイトさせてくれるし、何より爽快だ。
ローレムとは全然傾向が違うが、やはり「積聴」だったパスカル・デュサパンもまあまあ良かった。Pascal Dusapin "Extenso / Apex / La melancholia"(MONTAIGNE)。デュサパンに興味を持ったのは、以前音楽雑誌の記事(多分レコ芸かな)で、シャルル・デュトワがフランスで現代もののコンサートを行ったときに、そのコンサートに行ったリスナーの評価として「デュサパンは誰でもできる、誰でもやる」ようなことが書かれてあったからだ。多分その通ぶったリスナーは、デュサパンはデュトワのようなポピュラーな指揮者が取り入れるのに相応しい現代音楽作曲家だと言いたかったのだろう。そして何よりデュトワがその程度の指揮者だとも。まあ、これもKill Joy な言いかたの一つに違いない。
ローレムとは全然傾向が違うが、やはり「積聴」だったパスカル・デュサパンもまあまあ良かった。Pascal Dusapin "Extenso / Apex / La melancholia"(MONTAIGNE)。デュサパンに興味を持ったのは、以前音楽雑誌の記事(多分レコ芸かな)で、シャルル・デュトワがフランスで現代もののコンサートを行ったときに、そのコンサートに行ったリスナーの評価として「デュサパンは誰でもできる、誰でもやる」ようなことが書かれてあったからだ。多分その通ぶったリスナーは、デュサパンはデュトワのようなポピュラーな指揮者が取り入れるのに相応しい現代音楽作曲家だと言いたかったのだろう。そして何よりデュトワがその程度の指揮者だとも。まあ、これもKill Joy な言いかたの一つに違いない。
昨日夜、ウイスキーを飲んで寝たためか朝勃ちなしの起床。しかし疲労やストレスが溜まると酒を飲んだりピアノを弾きたくなったりセックスをしたくなったり泳ぎたくなったりと肉体を酷使したくなるのが不思議だ。
景気付けにキーシンのピアノを聴く。バッハ=ブゾーニの『シャコンヌ』。『シャコンヌ』はファジル・サイの方が情感があって、さすがにカッコよく盛り上げてくれるのだけれでも、ついでにシューマン『クライスレリアーナ』も聴きたかったので。それにしてもここのところのキーシンは凄い。以前、カラヤンやアバド、小澤なんかとコンチェルトをやっていたころは、上手いけど、アクがなさすぎて強い印象がなかった。しかし、BMGから出たブラームスのパガニーニ変奏曲を聴いてからダントツに好きなピアニストになった。これを聴いたときは本当に腰を抜かした。だってあんなに三度や六度をスピーディーに攻撃的挑発的に弾けるなんて他にいない。衝撃的事件だった、と多少大袈裟に言いたい。
去年出たシューマンの1番ソナタと謝肉祭もこの曲のデファクトスタンダードと言っても良いだろう。1番ソナタは大好きな作品で、シューマン特有のこんがらがった曲想がたまらなく、遊びで弾いたりするが、弾きばえはするものの(自己満足)、聴きばえがさほどない感じが難点かな。しかしキーシンが弾くとリストの作品に匹敵するくらいカッコよくドラマティックに響く。さすがだ。それとどうでも良いことだが、僕は倉橋由美子の『交歓』にも出てきた、「中抜き」、つまりロマン派抜きで、古典、バロックと近代を聴く、と「喧伝」しているリスナーは基本的に嫌いだ。それとピリオド楽器やスタイルがどうのこうのと言う連中も。というのも思い出したのだが、たしかレコ芸で、キーシンのパガニーニ変奏曲を評した人物が、ベートーヴェンとフランクとそのブラームスを「カップリングしたそのこと」によって評価を下げていたからだ。どうでも良いことだが、そのことを思い出すと今でもアタマにくる。
景気付けにキーシンのピアノを聴く。バッハ=ブゾーニの『シャコンヌ』。『シャコンヌ』はファジル・サイの方が情感があって、さすがにカッコよく盛り上げてくれるのだけれでも、ついでにシューマン『クライスレリアーナ』も聴きたかったので。それにしてもここのところのキーシンは凄い。以前、カラヤンやアバド、小澤なんかとコンチェルトをやっていたころは、上手いけど、アクがなさすぎて強い印象がなかった。しかし、BMGから出たブラームスのパガニーニ変奏曲を聴いてからダントツに好きなピアニストになった。これを聴いたときは本当に腰を抜かした。だってあんなに三度や六度をスピーディーに攻撃的挑発的に弾けるなんて他にいない。衝撃的事件だった、と多少大袈裟に言いたい。
去年出たシューマンの1番ソナタと謝肉祭もこの曲のデファクトスタンダードと言っても良いだろう。1番ソナタは大好きな作品で、シューマン特有のこんがらがった曲想がたまらなく、遊びで弾いたりするが、弾きばえはするものの(自己満足)、聴きばえがさほどない感じが難点かな。しかしキーシンが弾くとリストの作品に匹敵するくらいカッコよくドラマティックに響く。さすがだ。それとどうでも良いことだが、僕は倉橋由美子の『交歓』にも出てきた、「中抜き」、つまりロマン派抜きで、古典、バロックと近代を聴く、と「喧伝」しているリスナーは基本的に嫌いだ。それとピリオド楽器やスタイルがどうのこうのと言う連中も。というのも思い出したのだが、たしかレコ芸で、キーシンのパガニーニ変奏曲を評した人物が、ベートーヴェンとフランクとそのブラームスを「カップリングしたそのこと」によって評価を下げていたからだ。どうでも良いことだが、そのことを思い出すと今でもアタマにくる。
[四月は一番残酷な月だ]
と始まるT・S・エリオットの詩が身にしみる。だって今日も出勤で、この雨の中、移動しまくって、ついさっき帰宅。土曜日だってのに遊びに(Hしに)も行けやしない。だから更新……と言ってもろくに本も読めてないので、これまであんまし書こうと思わなかった日記/雑記のたぐい。まあ、一種のBlogだと思えばいいか。
忙しいとなぜかピアノをガンガン弾きたくなる。幸い電子ピアノなので夜でも弾ける。でもガンガンと弾くのは、実はハノンがメインであって、最近はショパンのノクターンでしんみりと遊んでいる。『戦場のピアニスト』のCMで流れていた19番あたり。でもこれって、ショパンのノクターンの中で多分一番弾きやすいんじゃないかと思う。左手の伴奏は規則的なリズムだし、三度や六度もないし、最初が面倒なポリリズムもないし。15番も易しいけど、ひさしぶりに試してみたら、最後の三連符のところがギコちなかった。15番は地味だけど、なかなかいいね。僕は好きだ。もちろん一番好きなのは13番だけど、ぜんぜん弾けやしない。難しすぎ。
それでもやっぱりガンガン「曲」も弾いてみたいので、明日はヴィラ・ロボスの『苦悩のワルツ』を練習しよう。この曲には最低音のAが出てくるので、このAの音をガツンと鳴らすのがなかなか快感なんだ。
いちおう通勤では木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫)を読んでいる。が、やっぱり難しいな。だいたいハイデガーはプラトンよりアリストテレスに重きを置いているようなので、それだけで心証が悪いのだが。ただし『存在と時間』にはプラトンの『ソフィスト』が引用されているようなので、気にはなっている(が、多分僕は『存在と時間』自体は読まないだろう)。そしてまだ読みはじめたばかりであるが、こちらは古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)は筆者の語り口が愉しい。
それで最初に書いたT・S・エリオットと言えば、清水書院から出ている徳永暢三『T・S・エリオット』がなかなか良かった。このシリーズはホントに初歩の初歩って感じがあってそれほど気に掛けていなかったのだが、コンパクトなわりには、良く纏まっていたし読み応えもあった。『荒地』の解読もパズルを解くような面白さがある。
よし、これで今日は更新できた。ピアノと同じで、毎日少しでもヤラないと、勘が鈍るので。
と始まるT・S・エリオットの詩が身にしみる。だって今日も出勤で、この雨の中、移動しまくって、ついさっき帰宅。土曜日だってのに遊びに(Hしに)も行けやしない。だから更新……と言ってもろくに本も読めてないので、これまであんまし書こうと思わなかった日記/雑記のたぐい。まあ、一種のBlogだと思えばいいか。
忙しいとなぜかピアノをガンガン弾きたくなる。幸い電子ピアノなので夜でも弾ける。でもガンガンと弾くのは、実はハノンがメインであって、最近はショパンのノクターンでしんみりと遊んでいる。『戦場のピアニスト』のCMで流れていた19番あたり。でもこれって、ショパンのノクターンの中で多分一番弾きやすいんじゃないかと思う。左手の伴奏は規則的なリズムだし、三度や六度もないし、最初が面倒なポリリズムもないし。15番も易しいけど、ひさしぶりに試してみたら、最後の三連符のところがギコちなかった。15番は地味だけど、なかなかいいね。僕は好きだ。もちろん一番好きなのは13番だけど、ぜんぜん弾けやしない。難しすぎ。
それでもやっぱりガンガン「曲」も弾いてみたいので、明日はヴィラ・ロボスの『苦悩のワルツ』を練習しよう。この曲には最低音のAが出てくるので、このAの音をガツンと鳴らすのがなかなか快感なんだ。
いちおう通勤では木田元『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫)を読んでいる。が、やっぱり難しいな。だいたいハイデガーはプラトンよりアリストテレスに重きを置いているようなので、それだけで心証が悪いのだが。ただし『存在と時間』にはプラトンの『ソフィスト』が引用されているようなので、気にはなっている(が、多分僕は『存在と時間』自体は読まないだろう)。そしてまだ読みはじめたばかりであるが、こちらは古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)は筆者の語り口が愉しい。
それで最初に書いたT・S・エリオットと言えば、清水書院から出ている徳永暢三『T・S・エリオット』がなかなか良かった。このシリーズはホントに初歩の初歩って感じがあってそれほど気に掛けていなかったのだが、コンパクトなわりには、良く纏まっていたし読み応えもあった。『荒地』の解読もパズルを解くような面白さがある。
よし、これで今日は更新できた。ピアノと同じで、毎日少しでもヤラないと、勘が鈍るので。
火曜日, 4月 01, 2003
[差別の発信地]
あるWebサイトで知ったのだが、中上健次が自分が被差別部落出身者であり、そのため有形無形の差別を受け、またその差別を「目撃」した、と書いているらしい(中上健次全集・第十五巻「日本の二つの外部」)。その中で中上が使用している言葉「差別の発信地」にえらく共感した。それは舞城王太郎がその小説の中で、同性愛者に「ペドフィル」の罪を擦りつけ、ヘイトクライムを「正当化」する言説を平然と行っているからだ(宮崎勤の幼女連続殺人が「異性愛」に帰したか)。そしてそんな差別作家を書評家らが称揚する──それこそが「差別の発信地」なのではないか、それこそ「戦うべき」有形無形の差別事象ではないか。
これまで、個人的にある適度知識のあるユダヤ人問題を絡ませながら舞城の差別を説いてきたが、もっと身近な「差別」と一緒に扱ったほうが、わかりやすく効果的なのではないかと思うようになった。今でもハンナ・アーレントやベンヤミンにあたって、舞城の醜悪な差別を考えているが、中上健次のことや同和問題にも焦点を当てて考えてみたい。舞城王太郎の「ヘイトクライム」を正当化するような言説は絶対に看過できないからだ。
とりあえず中上健次の「日本の二つの外部」を読むつもりだ。
あるWebサイトで知ったのだが、中上健次が自分が被差別部落出身者であり、そのため有形無形の差別を受け、またその差別を「目撃」した、と書いているらしい(中上健次全集・第十五巻「日本の二つの外部」)。その中で中上が使用している言葉「差別の発信地」にえらく共感した。それは舞城王太郎がその小説の中で、同性愛者に「ペドフィル」の罪を擦りつけ、ヘイトクライムを「正当化」する言説を平然と行っているからだ(宮崎勤の幼女連続殺人が「異性愛」に帰したか)。そしてそんな差別作家を書評家らが称揚する──それこそが「差別の発信地」なのではないか、それこそ「戦うべき」有形無形の差別事象ではないか。
これまで、個人的にある適度知識のあるユダヤ人問題を絡ませながら舞城の差別を説いてきたが、もっと身近な「差別」と一緒に扱ったほうが、わかりやすく効果的なのではないかと思うようになった。今でもハンナ・アーレントやベンヤミンにあたって、舞城の醜悪な差別を考えているが、中上健次のことや同和問題にも焦点を当てて考えてみたい。舞城王太郎の「ヘイトクライム」を正当化するような言説は絶対に看過できないからだ。
とりあえず中上健次の「日本の二つの外部」を読むつもりだ。
月曜日, 3月 31, 2003
金曜日, 3月 28, 2003
[スティーブ・ベルの諷刺マンガ]
Guardian で連載しているスティーブ・ベル(Steve Bell )のカトゥーンが面白い。なにしろ画がルシアン・フロイドのように不気味、というか歪んでいて愉しい。
時期がらイラク攻撃特集で、毒を吐いており、イギリス伝統の「おちょくり」は健在だ。もちろんブッシュのデフォルメもそうであるが、特に笑ったのがフランス、ドイツ、ロシアの反対に見猿言猿聞猿のブッシュ、だって、フランスがカエルになっているし、ドイツをsquareheadにしているし。
Guardian で連載しているスティーブ・ベル(Steve Bell )のカトゥーンが面白い。なにしろ画がルシアン・フロイドのように不気味、というか歪んでいて愉しい。
時期がらイラク攻撃特集で、毒を吐いており、イギリス伝統の「おちょくり」は健在だ。もちろんブッシュのデフォルメもそうであるが、特に笑ったのがフランス、ドイツ、ロシアの反対に見猿言猿聞猿のブッシュ、だって、フランスがカエルになっているし、ドイツをsquareheadにしているし。
木曜日, 3月 27, 2003
[フォルトゥイン党首殺害犯の裁判始まる]
オランダの政治家で、オープンリー・ゲイのピン・フォルトゥイン党首を殺害した Volkert Van der Graaf 容疑者の裁判が始まった。
Fortuyn murder suspect on trial [BBC NEWS]
Van der Graaf は33歳の動物愛護団体の活動家。彼は昨年5月、ラジオ局から出てきたフォルトゥインを銃で撃ち殺した。政治家の殺害はオランダ史上例のないことであり、そしてまたちょうど総選挙の一週間前であった。
今のところ検察は、Van der Graaf の動機は、フォルトゥインがこの「弱き」社会にとって脅威であると感じていたため──という抽象的なものあるいはエゴイズムと言ってもよいだろう──と見ている。
この後、被告の精神鑑定の結果拝聴、そして弁護側の抗弁がある。有罪となれば、終身刑が言い渡される。
オランダの政治家で、オープンリー・ゲイのピン・フォルトゥイン党首を殺害した Volkert Van der Graaf 容疑者の裁判が始まった。
Fortuyn murder suspect on trial [BBC NEWS]
Van der Graaf は33歳の動物愛護団体の活動家。彼は昨年5月、ラジオ局から出てきたフォルトゥインを銃で撃ち殺した。政治家の殺害はオランダ史上例のないことであり、そしてまたちょうど総選挙の一週間前であった。
今のところ検察は、Van der Graaf の動機は、フォルトゥインがこの「弱き」社会にとって脅威であると感じていたため──という抽象的なものあるいはエゴイズムと言ってもよいだろう──と見ている。
この後、被告の精神鑑定の結果拝聴、そして弁護側の抗弁がある。有罪となれば、終身刑が言い渡される。
火曜日, 3月 25, 2003
日曜日, 3月 23, 2003
[アルゼンチンのゲイ・ライツ、正式に施行]
以前も書いたアルゼンチンの新法──同性カップルを正式に認知し、異性カップルと同等の権利を与える──が4月より正式に施行される。
Gay rights landmark [LATIN AMERICA PRESS ]
(一緒に掲載されている画像がキュート)
オランダやベルギーのように結婚、養子縁組は認められていないが、この法律が画期的なのは、南アメリカというカトリックの影響の強い地域で同性愛が「法的に」認知されたこと、さらにこの法律によって、結婚していない「異性愛者」、つまり「シングル・マザー」(「未婚の母」)等の言葉でラベリングされ、社会的な差別を受けていた人たちへの偏見も解消されることにある(実際に、就職等の差別があったらしい)。
国会議員でゲイ・ライツ推進派のRegina Kluz さんは、「これは(法律の施行)はとても重要なことです。なぜなら同性愛について偏見や先入観なしに話し合え、オープンな議論ができるからです」と語っている。
以前も書いたアルゼンチンの新法──同性カップルを正式に認知し、異性カップルと同等の権利を与える──が4月より正式に施行される。
Gay rights landmark [LATIN AMERICA PRESS ]
(一緒に掲載されている画像がキュート)
オランダやベルギーのように結婚、養子縁組は認められていないが、この法律が画期的なのは、南アメリカというカトリックの影響の強い地域で同性愛が「法的に」認知されたこと、さらにこの法律によって、結婚していない「異性愛者」、つまり「シングル・マザー」(「未婚の母」)等の言葉でラベリングされ、社会的な差別を受けていた人たちへの偏見も解消されることにある(実際に、就職等の差別があったらしい)。
国会議員でゲイ・ライツ推進派のRegina Kluz さんは、「これは(法律の施行)はとても重要なことです。なぜなら同性愛について偏見や先入観なしに話し合え、オープンな議論ができるからです」と語っている。
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