水曜日, 4月 28, 2004

[更新状況]

Iron Gate に加賀野井秀一 『20世紀言語学入門』を追加しました。


土曜日, 4月 24, 2004

[更新状況]

Iron Gate に金森修 『ベルクソン』を追加しました。


水曜日, 4月 21, 2004

[隠喩としての自己責任]

あまりテレビとか見ていないので(しかもここのところ忙しくて)、「自己責任」という言葉が「流行っている」というということはネットでの印象だ。興味深いのは、「自己責任」について、そこに、いろいろな「喩え」が登場すること。例えば「冬山登山」とか。

しかし、こういう「場面」で、勝手に引き合いに出され、しかも「迷惑のカテゴリー」として言及された「冬山登山愛好家」は、さぞかし「場が悪い」思いをしているだろう。今度の冬登山を、彼らは諦めるかもしれない──周りの圧力というよりも、<自ら>律して。

それと、この「自己責任論」の切っ掛けとなった人質事件について、その評価・判断をめぐって「左翼」と「右翼」という二項対立によって、議論がされている場合が多いが、左翼/右翼(またはリベラル/保守)以外の二項対立はどうなんだろう。例えば、ジェンダー的には。

というのも、「やおい」の差別性に抗するために、アンドレア・ドウォーキンを読んでいたところ、もし、人質事件の「隠喩」が「冬山登山」ではなくて、「デートレイプ」だったらどうなのか、と思ったからだ。
もちろんカミール・パーリアのように女性でもデートレイプに対して、「女性の責任」を明確にする人もいる(そして「やおい」には「レイプされてハッピーエンド」というイデオロギーが存在する)。しかしデートレイプに関して、「女性の責任」を追求するのは、圧倒的に男性(のジェンダー)だろう……。

……というふうに、「隠喩」次第によって、議論がズレてしまう気がする。

火曜日, 4月 20, 2004

[サパテロ首相、同性結婚を支持]

スペイン軍のイラク早期撤退を命じたサパテロ首相……というのは、日本のどの新聞にも書かれているが、このスペインの新首相が「同性結婚」支持を表明したことは、きちんと報道されているのだろうか。

Spain's leader pledges marriage equality [Gay.com]

記事によると、サパテロ首相は、選挙後初めての国会で、同性カップルにも異性愛カップルと同等の法的権利を与えると表明した。

”我々は、平等の権利──(同性愛者の)結婚の権利を認めよう。そのことによって、労働の権利、相続、ソーシャル・セキュリティの保護が実現する。今こそ、スペインにおいて、セクシュアリティによる差別を撤廃する時期だ”

ただこの記事、同性結婚支持に対しては、無論、賞賛しているのだけれども、サパテロ首相がイラクからスペイン軍を撤退させることについては「ナイーブ」だと疑問を呈している感じだ(正確には「ナイーブ」だと疑問視されているようだ、と書いている)。やはり Gay.com といえども「アメリカのメディア」なのだろうか。


土曜日, 4月 17, 2004

[受け攻め度チェック、徹底して]

やってやろうじゃないか、これ
で、結果。

● 強気受けの貴方は
★性格★
気さくで明るく、いるだけで周りを楽しくさせる人です。
男性なら、グループの中心となって盛り上げるタイプ。
女性なら、「学園のアイドル」的存在となるでしょう。
貴方の粘り強さには定評があり、誰もが貴方に一目置いてマス。
何事も中途半端を嫌い、遊びや趣味でも徹底してやらないと気が済まないトコロもあるので「おたく」と呼ばれることも…。

★夜の性格★
他人に屈するコトを嫌い、相手を見下した雰囲気があります。
それが相手を興奮させる材料になっているので、無理やりヤラれるコトも。
屈辱的なコトをすごく感じてしまう体質であることも、負けず嫌いなところも相手は見抜いてます。
素直にならないとプレイは激しさを増すばかりですよ。

● hさんの前世は、クロマニョン人です!


[総評] 不愉快な言葉や差別的な「言説」がないので、まず、良しとしよう。
[性格] 「徹底」という言葉は好きだ。
[夜の性格] 「否認」はしない。概ね首肯できる。
[前世] 「外専」の「原因」はこれか! フロイトより納得だ。

金曜日, 4月 16, 2004

[これよりさき喜劇領域]

とりあえず、人質だった3人が無事解放されて、良かった、良かった。様々な毀誉褒貶、無責任な発言の数々も、それ自体、今後は「誰にでも楽しめるゴシップ」として享受できるだろう。

”《シンプソン・クライシス》に全国民は喜んでいる。メイディーの病院では、成年患者全員の病状が快方に向かったそうだ” By イーヴリン・ウォー

というわけで。三人が解放された様子が映し出されたアルジャジーラの放送(高遠さんが飴のようなものを口に入れてたやつ)で、奥にいたイラク人?の男性に「萌え」てしまった僕って……。手前(郡山さん側)でビデオを映していた人じゃなくて、高遠さん側にいた人です。

金曜日, 4月 09, 2004

[更新状況]

Iron Gate にハンナ・アーレント 『暗い時代の人間性について』を追加しました。

土曜日, 4月 03, 2004

[更新状況]

Iron Gate にキャサリン・ベルジー 『ポスト構造主義』を追加しました。

[河童化するポストモダン]

Guide氏へ

さて、そろそろ「降りる権利」を発動したいと思う。なぜならば、僕の指摘した「問題」をあなた自身が証明してくれたからだ。

今回の
・(仮説X): ある一つの性的嗜好の人間の持つ集団の傾向を、他の性的嗜好者集団に対して一般化することはできない

ということ証明は、そのまま、あなたの発言「ゲイだってそうですよね・・・…」への僕の異議申立ての理由になっているからだ。
あなたを含めた「オタク言説」では、不必要に不適切に同性愛が言及され、とくに「やおい論」においては(自覚的なのか、無自覚的なのかわからないが)ゲイを貶める言説が頻出しているのを目にする。そのことは絶対に看過できないし、今後も「問題化」していくことに変りはない。あなたが、歪曲され偏見に満ちた「オタク像」に反発しているのと同様に、僕も侮蔑的に、そして都合の良い「代補」として言及される「ゲイ・イメージ」には到底我慢できない。

今回あなたとの議論において、自分でもたしかにオタクに対して偏見があったことは認める──というより気付いたというべきか。それは「児童ポルノ」(前後の関係上、悪いがこの言葉を使わせてもらう)に関して、そちらを始めいくつかのサイトを見た結果、やはりこの法改正は問題がありそうだと思ったからだ。ただし僕はあくまでも「言論の自由」という観点に重きを置きたいが。

ただ、あなたの主張する「ロリオタ」と「ペドフィリア」のニ分割については、その論理の明晰さは認めるが、納得しているわけではない。どこか騙されているような気がしないでもない。もっともそれは僕が「二分法」の思考が嫌いなことと、さらに「精神分析」はもっと嫌いだ(というより信用していない)という理由もあるだろう。

そうそう。相手を挑発するような態度を取るのはディベートの王道であると、僕は了解している。ただ「偉い人」斎藤環を証人にした裁判が「負けた」のは、「論理」がまずかったからだけではないだろう。「論理」を過信しすぎると「ジャッジ」の「心証」を悪くすることも、多分にあると思う。


金曜日, 4月 02, 2004

[パッシングとチェスタトン]

「パッシング」とは、「偽装」して社会の受け入れを図ること。例えば、昔(そして今も)、ゲイが「異性愛者を装う」ことで、社会的に不利な立場から逃れることだ。

そしてあるオタク論者の発言「架空世界に耽溺すること自体は罪ではないし、現実の女の子に興味がないならむしろ安全。現実の女の子に手を出すのが罪なんだ」

どうも納得がいかないのは、「ロリコン(ロリオタ)」と「ペドフィリア」の<間>に「現実の女の子」に手を出すか、出さないか、という「綺麗な二分法」があるのに対し、

では、
<成人の女性>を対象とした「架空世界」で遊び、かつ、「現実の成人女性に興味がない」男性たちのことは、何と「名指し」されているのだろうか。両者に<亀裂>はあるのか?
ゲイでも同様で、<架空のマッチョ>で遊び、かつ、「現実のマッチョに興味がない」ゲイと、実際に現実のマッチョと恋愛をするゲイは、「明確に区別」されているだろうか。
ということだ。

多分、そういう人たちは、あまりにも少ないから、「名指し」されないのだろう。
いや、ゲイの場合は、違うかもしれない。それは社会的に同性愛に対する「禁忌」あった場合、多くのゲイは、身を守るために「パッシング」してきた。それは、「イメージで遊ぶゲイ」と「現実に行動をするゲイ」という「二つの人種」が存在している、というわけでは決してない。社会的な「抑圧」によって、自己防衛の手段として「パッシング」してきたのだ。その抑圧は強力で、アメリカ共和党の弁護士ロイ・コーンのように「男とファックするヘテロ」という「自己規定」を行った人物もいる。

しかし、客観的に見れば、ロイ・コーンは、あきらかにゲイであり、「男とファックするヘテロ」は「倒錯的なレトリック」でしかない。

レトリック……。
たしか、チェスタトンだったか。木の葉を隠すのは、森の中へ、そして、死体を隠すのは、戦場へ。
では、「ペドフィリア」を隠すのは、どうすればいいのだろう。何に偽装=「パッシング」すれば良いのだろう。




木曜日, 4月 01, 2004

[児童ポルノとホラー映画の差異]

両者が犯罪を誘発するとして俎上に挙がった場合、ホラー映画愛好者は、「児童ポルノを見たからといって、幼女に対して性犯罪を犯すとはかぎらない」という、<対抗言説>を取るだろうか?
しかしオタクは、「ホラー映画愛好者が殺人を犯すとはかぎらない(または<実際の>殺人愛好者だろうか)」という<言い訳>をする。この「差」は、いったい、何なんだろう。

そもそも、「児童ポルノ」と「ホラー映画」は、「並列」させるべきものなのだろうか?
できないと思う。
「ホラー映画」は、たしかに、<殺人を犯す側>に焦点を移し、現実社会では実行できない「殺人」を追体験する「快楽」を得ることは、可能だ。しかし、それだけではないだろう。何より「恐怖」を味わうためには<被害者>になることも必要だ(無論、第三者として、お気軽に楽しむのが一般的であろうが)。そういった意味で、「ホラー映画」は多義的な「追体験」ができる。

しかし、「児童ポルノ」はどうであろう。言うまでもなく、「加害者」としての「追体験」をするのは「成人」だ。「被害者」は「幼女」だ。

さらに両者の「差」はこれだけではないと思う。問題は、「本能」に訴えるかどうかだ。
「殺人本能」というのは聞いたことがない。「闘争本能」の結果、殺害に至ることはあるだろう。動物だって、生存競争において(餌を得るために)、他の動物を殺すことはあるが、純粋に「殺害」を個体に命令する「本能」はないだろう。

しかし性(セックス)は「本能」である。「刺激」の度合い、その意味合いは異なるはずだ。
この「差」は強調しておきたい。
したがって、「児童ポルノ(それが、二次元だろうと三次元だろうと)」と「ホラー映画」は「並列」させるべきではない。

水曜日, 3月 31, 2004

[やじうまGUIDEへ]

読んでみたが、やはり違和感が残る。どうして「正しいモデル」と「間違ったモデル」があり、なぜ一方が正しいと言えるのか、だ。
そして、どうして、今回の高崎による(オタクによるとされる)幼女殺害事件を論じるのに、ゲイをはじめ様々なセクシュアリティを持つ「マイノリティ」が総動員されるか、だ。当然、僕がそのことに異議を呈したことに、「日本語を勉強しろ」などという難癖をつけ、今だ、オタクの定義だとか、あなたも「オタク」だなどという対応しか受けていない。却って「オタク差別」などと言われる始末。

そもそも、この高崎の事件をマスコミが大々的に報道したのは、「マイノリティ」をスケープゴートにするためだったのか。違うと思う。あまりにも残虐で異様な犯罪だったからだ。

残虐なレイプ犯罪が起こり、犯人が「レイプビデオ」を大量に持っていたら、社会(マスコミ)は、そのことを問題にする。
残虐な猟奇殺人が起こり、犯人が「猟奇ホラービデオ」の熱心なファンだったら、社会はそのことを問題にする。

それは、ある程度仕方のないことで、もっと言えば、「社会」がそういった残虐な犯罪に対し、そのやり方はどうであれ、「防衛する能力」を今だ有している、ということになる。

そして今回の幼女殺害事件も、犯人が幼女ポルノを大量に持っていた、ということにつきる。だから社会(マスコミ)は、児童ポルノを俎上に挙げ、犯人の「オタク的行動」を指弾した。

しかし、僕が「異議申し立て」を行っているのは、児童ポルノでも「オタクそのもの」ではない。問題は、児童ポルノやオタクを擁護する「言説」において、ゲイやその他のセクシュアルマイノリティが「動員」される「必然性」だ。

残虐なレイプ犯の登場によって、「レイプもの」は指弾されるだろう。しかしその「愛好者」は、「レイプもの」を擁護する「言説」において、自分たちを「マイノリティ」とし、ゲイその他のセクシュアルマイノリティを引き合いに出し、一緒くたに議論を展開するだろうか? 「ゲイだってそうですよね、男性が男性を<実際に>レイプしなければ、かまわない」というふうに。

しかし、児童ポルノ愛好者でオタクは、そういった議論を行う。そのことに、引き合いに出されたゲイである僕は強い違和感を感じた。「少女の裸体」を見る権利を「守るため」に、なぜ、「ゲイであることはかまわない」などと「判断」「評価」の<対象>とされ、ここぞとばかり「マイノリティ」が強調されるのか。

もし、「クラシック音楽オタク」や「アートオタク」が「オタク」に含まれるなら、オタクは、すでにして、<性的>な「マイノリティ」ではない。
よって、「セクシュアル・マイノリティ」を引き合いに出し、児童ポルノ愛好者である「オタク」を擁護すべきではない。「マイノリティ」を<利用>するな、と言いたい。それは、端的に、卑怯であると思う。

火曜日, 3月 30, 2004

ちょっと「脊髄反射的」だった文章をまずいと思い書きなおしているうちに、すでに「応答」してくださったようなんですが。
「河童」と「オタク」って……。いや、いくらなんでも「河童が見たヨーロッパ」と「オタクから見た……」の違いはわかるけどな。それと東浩紀がオタクかそうでないかというのは、オタクの人たちには、あまり知られていないのですか?
でもあなたは「オタク」なんですよね。違いますか? 



[え、東浩紀ってオタクじゃないんですか?]

早速の「応答」どうもです。

それで、『動物化するポストモダン』ですが、副題が「オタクから見た日本社会」とありますが、それって「オタク」が「オタク」の視点で書いたものではないんですか? それは、こちらが聞きたいぐらいです。なぜ違うんですか?

で、「ペドフィリア」については、そうですね、確かに迂回した書き方をしてしまいました。そうですね、幼児と性的接触してしまう人のことを考えてました。

児童ポルノ法については、これから読んでみます。

[リーヴァイスを履いて、探検しよう]

読むなと言えば、読みたくなるし、横線があれば、なおのこと<良く見える>。なかなかじゃないですか。

僕があなたのサイトを読んでいないというならば、あなたの方も僕のサイトを読んでいませんね。僕がそもそも最初に「オタク」に不信=怒りを感じたのは、東浩紀が同性愛をオタクの外部において、ペドフィリアと並列させ「倒錯」と書いたからです。(「やおい」にしても、高城響が、同性愛を「異常」と書いたからです)

『アンティゴネの手』や『人権の彼方へ』『イデオロギーとは何か』で書いた意義申し立て=主張は、「オタク(東、高城)が同性愛を<倒錯>または<異常>と、平然と書いていること」に対してです。非オタクからみると、東や高城の「見解」はじゅうぶんに「オタクの意見を代表」しているように見えますが、違うのでしょうか?

そして一番の主張は、「同性愛を<倒錯/異常>と規定した後に、オタク(やおい)は倒錯/異常では<ない>と書いている二人のロジックです。そのことは、どう思います? 
特に東は「<現実の>ペドフィリア」という書き方をしています。これは、では、「<現実>では<ない>ペドフィリア」が「オタク」に相当するのではないか、と思い安っぽい書きかたで、非常に申し訳ないと思いますが、『アンティゴネの手』では、そのことを書きました。「オタク」が「(現実の)ペドフィリア」を「倒錯」と呼び「同性愛と<並列>させ、差別している」と。つまり、僕が書きたかったのは、他者を「倒錯」と読んだら、それは自分に撥ね返る、その「倒錯性」は自分に「再帰」すべきものだ、ということです。まあそこでの「児童ポルノ」のことは、成り行き上、自分自身に<正しく>「再帰」させないと、「悲劇的な運命」に見舞われる、というアンティゴネの物語を敷衍したまでです。ただ、児童ポルノ改正にデリケートになるのは「言論の自由」が問題だからなんですか?

後、どうも僕とあなたの「認識」がズレているところがあるようなので、断っておきますけど、僕が「ペドフィリア」というのは、いつでも(東浩紀が言う)<現実のペドフィリア>であって、「幼児に対する欲望を持っている<状態>の人」ではありません。「必ず実行する/かつてした人」です。そこのところを踏まえて、
「僕の偏見」(”あなた自身の偏見についても自覚的であってほしいと思います。「偏見反対」を語る人が「偏見」に凝り固まっていたのでは第三者から見て説得力はありませんよ”)
というものを諭してくれると、非常にありがたいですね。

月曜日, 3月 29, 2004

[Gay Science]

もちろん「応答」しますよ

そうですか? わかりませんか。 そして「悪しき教養主義」ですか、目指していたのは「楽しい教養主義」なんですが……。
じゃあ、こちらの『イデオロギーとは何か』なら、どうでしょう。

問題は
1、東浩紀が、同性愛者を「何度も何度も何度も」<倒錯者>と呼ぶこと。
2、高城響が同性愛を「異常」だと書いていること。
このことを批判していた流れで、そちらのサイトを見つけたわけです。

そして、
3、「ペドフィリア」には「異性愛のペドフィリア」と「同性愛のペドフィリア」(同様に異性愛者のSM,同性愛のSM)があるのに、異性愛の性的<嗜好(フェチ)>に対し、<同性愛(そのもの)>が「同列/並列」に扱われていること。「VS」を持ち入るならば、異性愛VS同性愛、異性愛のペドフィリアVS同性愛のペドフィリア、異性愛のSM VS 同性愛のSM。つまり「同性愛」を「異性愛の下部」において、その「変形的、倒錯的<嗜好>」として、論じて欲しくないこと。

だとしたら、

”え〜と。私は「マジョリティの性的嗜好とは違う人々」の意味で「ゲイ」を出しただけで、別にスカトロジストでもジェロントフィリア(老人愛)でもなんでもよかったんですが。私はゲイには悪い印象は全く持っていないつもりです。”

このセンテンスに僕が、またもや「脊髄反射」してしまう「理由」がわかりますか? 何度も何度も何度も「マジョリティと違う」と「反復」されることの「不快さ」がわかりますか? 事あるごとに、「性的な事件」「<性倒錯>的な話題」で「ゲイ」が「引き合いに」出される、「不愉快さ」がわかりますか? こう言う場合に「異性愛(そのもの)が「引き合いに」出されて「分析」されることが、ありますか? そのことの「圧倒的な非対称」、「差別」を感じることが、あなたは「被害妄想」だとういうんですよね。

だったら、どうしてゲイは、しょっちゅう「セックス」をしている「人種」としてか、「セックスに関する話題」でしか、オタクも含めたヘテロセクシュアルに言及されないのでしょう。そういった「ステレオタイプ」に抗することが「攻撃」だと思われるのでしょうか?

僕は、女性ではないので、女性が持つ「セクシュアル・ハラスメント」の意識について、理解できるとは決して思いません。しかし、それでも「仕事場」に女性のヌード写真があったり、しょっちゅう「性的な話題」や「性的な冗談」の<対象>になる「不快さ」が、なんとなくですが、わかるような気がします。

それと、君の文章に「脊髄反応」したのは、他でもありません。<悪しき>教養主義であるとか、<意味のない>引用だとかのように、「決めつけ」が気になったからです。無論、「被害妄想」という「決めつけ」も。

ですから、

”「ペドとゲイを並べること」は「差別」である、と書いているのですよね。ということは、あなたはペドフィリア……”
という「決めつけ」も気になりますね。僕は「両者を並べて」<倒錯者>と呼ぶことを「問題」にしているわけです。
で、あなたは「マジョリティの性的嗜好とは違う人」を<倒錯者>と呼ぶのですか?
だったら、東浩紀が、オタクの外部に「現実のペドフィリア」と「同性愛」を置いて、「倒錯者」と呼ぶロジックが気になりませんか?

どちらかというと、君への反応は『デリダ──脱構築 』に書いています。もちろんここにある「引用」は<意味のない引用>だなんて、僕は、決して思っていません。そして、笑ってもかまいませんが、このサイト「ゲイ・パサージュ」の「パサージュ」はベンヤミンの『パサージュ論』からきています。だから、このサイトのポリシーは「引用」が「主」です。「引用」に合わせて、僕の意見を述べているようなものです。

では、長々と「例外的」に意見「だけ」を書きましたが、今度は、とびきりの「引用」を見つけて、もっと補足したいと思います(週末ぐらいになりそうですが、多分)。

金曜日, 3月 26, 2004

[更新状況]

Iron Gate に高橋哲哉 『デリダ──脱構築』を追加しました。


火曜日, 3月 23, 2004

[有罪責任abc]

僕のレビューを読んでくださっている「松谷加平の生活と意見」が、「オタクの言説」について、特に、オタクを擁護するときに<利用される>「同性愛への言及」について、やはり疑問に思っているようです。このことについては、今後も「問題化」していきますが、とりあえず今の段階で「応答」したいと思います。

まず、何よりこのサイトの「ペドという単純で簡単な問題 その2」を読んで、アタマにきた(だから直リンだ)。これこそ、僕が「問題化」していること、そのものだ。

以下は今後で詳しく述べるつもりの、とりあえずの骨子だ。

a)「ロリオタ」と「ペドフィリア」の決定不可能性
上記のサイトでは「ロリオタ」と「ペドフィリア」をニ分割して、「ロリオタ」の外部に「ペドフィリア」を設定している。東浩紀の議論で言えば「実際の小児性愛者」と「オタク」だ(以前書いた『動物化するポストモダン』他のレビューを参照)。
まず、この二分法がおかしいということ。よって、現在女性誌を中心としたマスコミの、現実の事件を前にしての「オタク批判」に、ある種の「正当性」を見ること。

b)オタクのパルマケイアー
ペドフィリア=実際-の-ではない<オタク>の問題点。ゲイのパフォーマティヴィティとそれによって導かれるオタクのパフォーマティヴィティ。

c)善悪の彼岸
オタクが「同性愛」について「言及」するとき、<誰>が「スケープゴート」にされるのか。<何>が「反復」されるのか。
上記のサイトに見られるような「アナロジーの罠」、つまり
”ゲイだってそうですよね。ゲイである事はかまわないが、男性が男性をレイプをしたら捕まる。当然ですね。”
という<卑怯な>「言説」についての分析。

こういったことを、今後の「レビュー」において徹底的に「問題化」して、「オタクの有罪責任」を問いたいと思う。


日曜日, 3月 21, 2004

[更新状況]

ディスクレビューにグスタフ・ホルスト 『惑星』を追加しました。


日曜日, 3月 14, 2004

[更新状況]

Iron Gate に古東哲明 『ハイデガー=存在神秘の哲学』を追加しました。