土曜日, 5月 03, 2003

[更新状況]

ディスク・レビューにシェーンベルク『期待』を追加しました。


水曜日, 4月 30, 2003

[更新状況]

Iron Gate に石井陽一 『世界の汚職 日本の汚職』を追加しました。


日曜日, 4月 27, 2003

[更新状況]

Iron Gate に佐藤亜紀『1809 ナポレオン暗殺』を追加しました。

金曜日, 4月 25, 2003

[更新状況]

ディスクレビューに高橋悠治「新ウィーン学派ピアノ作品集」を追加しました。


水曜日, 4月 23, 2003

[更新状況]

Iron Gate にマーク・レイナー『前より薄くなったペンキを吸ったあとに物した文章』を追加しました。


日曜日, 4月 20, 2003

さっき見ていたNHK教育の芸術劇場のニュースで、作曲家の石井眞木氏が4月8日に逝去されたことを知りました。石井氏の曲は、DENONから出ている CONCERTANTE Op.79 (1988)しか聴いたことがありませんが、この曲は、刺激的かつ非常に美しく、霊妙とさえ言いたいような<間>のある「打楽器音楽」で、カップリングのクセナキス『プレイアデス』に勝るとも劣らない魅力的な響きに溢れています。
ご冥福をお祈りいたします。




[更新状況]

Iron Gate に大江健三郎『空の怪物アグイー』を追加しました。


土曜日, 4月 19, 2003

[SOVIET JEANS]

ここのところショスタコーヴィチやプロコフィエフばかり聴いていたためか、夢の中にまで「共産党」が出てきた……と思ったら、選挙カーの連呼だった。こんな朝早くに……といっても9時30分だが、でも、食い物の恨みよりも、睡眠の恨みのがイラだつこの頃。

そういえば下のショスタコ/プロコ/スクリャービンのCDのカヴァーで思い出したのだが、「ソヴィエト・ジーンズ」といういイタリアのジーンズを昨日は履いていたんだった。これ、随分前に買ったもので、売っていた日本のショップも今はなくなってしまったのだが、メーカー自体は今でもあるのだろうか? と探してみたら、あった。SOVIET JEANS(cl) 。赤い星がやけに目立つ以外は、どこをとってもイタリアン……あれ、 cl ドメインってイタリアじゃなくて、調べてみたら、チリだった(でもチリの男性モデルがなかなかセクシーだったのでこっちも載せておくね)。
メインの入口はこっち Soviet Jeans.com 。さすがは凝ったデザインだ。






ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲が1990円という超バジェットプライスだったので買ってきた。全15曲5枚組み。良心的な値段、というよりも、こんなに安くていいのか? と思ってしまうほどだ。
演奏は Rubio Quartet 。今も聴いているが、なかなか良い感じ。それにボックスのデザインもショスタコの音楽に相応しいモダンなもので、CD本体にも作曲者の顔が印刷されているし、ケースの側面も同様だ。値段のわりに全然安っぽくないのが嬉しい。レーベルは BRILLIANT CLASSICS で、「complete」をウリにしており、どれもまるでレンガのような分厚さのCDボックスになっている。

それで、BRILLIANT CLASSICS のウェブサイトを眺めていたら、ショスタコ、プロコフィエフ、スクリャービンのピアノソナタ全集がカタログに載っていて、演奏者はホーカン・アウストベだった。アウストベはNAXOSから出ているメシアンがとても良かったので、彼のスクリャービンやプロコフィエフも聴いてみたい気がする。カヴァーのいかにも「ソビエトっぽさ」も良い感じ。




金曜日, 4月 18, 2003

[気になる新刊]

晶文社からアフロディーテ双書というエロティックな海外文学コレクションが刊行される。第1回目はアルフレッド・ミュッセの『ガミアニ』とピエール・ルイスの『女と人形』。『ガミアニ』はジョルジュ・サンドをモデルにしたレズビアン小説のようだ。

筑摩書房からはフラナリー・オコナー全短編集が5月に刊行。これは本当に待望の短編集だ。オコナーの凄まじさは、そんじょそこらの暴力的な雰囲気だけに与った作品とは根本的に次元が違う。『善良な田舎者』や『高く昇って一点へ』の異様さは、一読、忘れ難い。「敵意を持った観衆」取り巻かれた「恐怖」をこれほどまでに壮絶に表現できる作家はそうはいない。そういえば大江健三郎もフラナリー・オコナーについてよく言及していたな。




木曜日, 4月 17, 2003

ソフロニツキーと言えばスクリャービン。 PHILIPS のGREAT PIANISTS OF THE 20th CENTURY にはショパンとスクリャービンが半々ずつ収録されており、その名演を堪能できる。
とにかく3番ソナタが素晴らしくて、重々しく劇的な一楽章から焦燥感を掻き立てる情熱的なフィナーレまで、どこを取ってもソフロニツキーの圧倒的な表現力を感じさせてくれる。また「黒ミサ・ソナタ」のまさに異様で呪術的とも言えるエクスタシー(トリルが妖しすぎる)、「焔に向かいて」の性的興奮にも似た上昇運動も強烈だ。

いまさらのクリシェであるが、やっぱりこういうのはディオニュソス的熱狂と言うんだろうな。

水曜日, 4月 16, 2003

弾きたいけど絶対にムリだろう?と思うのがプロコフィエフ。でも大好きだ。『ロメオとジュリエット』の「モンターギュ家とキャプレット家」はなんとなく弾けそうな気がしたのだけれども、やっぱり弾けない。『悪魔的暗示』(Suggestion diablique op.4 No.4)なんかはもってのほか、いちおう楽譜は持っているけど(黄色に赤のショッキングなカバー。しかも MCA MUSIC PUBLISHING というアメリカ、ミルウォーキーにある出版社のもの)。

なのでCDを聴く。DGから出ているアンドレイ・ガブリーロフのやつ。あの超難曲『悪魔的暗示』を難なくインテンポで弾きこなしている。

『悪魔的暗示』と言えば、以前NHKでウラディミール・ソフロニツキーが弾いていたのを見たことがある。ソ連時代に、社会主義リアリズムではなく、アヴァンギャルド音楽を好んで演奏していたので当局により冷遇されていた芸術家、という扱いだったと思う。なかなかハンサムで、しかも革ジャンを着て『悪魔的暗示』をドライブしていたのが印象的だった。




火曜日, 4月 15, 2003

[シャンプー・プラネット]

ダグラス・クープランドの『シャンプー・プラネット』(森田義信訳、角川書店)を読んでいたら、ちょっと良い場面があったのでメモ。
ハロウィーンの夜、主人公の「僕」と恋人のステファニーがとっても「洗練されたコスチューム」の子供を見つけるシーン。

僕らの背後に立っているのは、黒いジーンズをはき、黒いタートルネックのセーターを着て、毛の逆立った白い小さなかつらをかぶった小さな男の子だ。そばには、同じく毛の逆立ったかつらをつけ、小さな黒いドレスを着た女の子がいる。ふたりは手をつないで、静まりかえった通りのまんなかを歩いてくる。袋をキャンディでいっぱいにし、これからまたどれだけのキャンディがもらえるのかと期待に心を燃えたたせながら。
「アンディとイーディだよ」僕は囁く。天国へ行き、ようやく幸せそうにしているアンディ・ウォーホルとイーディ・セジウッィクを見て、うれしくなる。
子供たちは、まるで夢のなかに生きている。

p.193

解説にもあるように、クープランドの「小説」って、ささやかでさりげないことが語られている「四コマ漫画」が積み重なって出来ている感じ。ちょっとしたエピソードがさりげなく心に留まる。

だからってわけじゃないけど、BGMはドビュッシーの『前奏曲集』。ピアノはミケランジェリ。<沈める寺>はノスタルジックで美しい。


月曜日, 4月 14, 2003

昨日、掲示板に書いたジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』を適当にパラパラとめくってみたが、開いたページ、目に付いた場所、どれを取っても含蓄のある言葉で埋め尽されている。示唆に富んでいる。勇気付けられる。さすがだ。

ゾルターン・コダーイの『ブダバリ・テ・デウム(ブダ城のテ・デウム)/ミサ・ブレヴィス』(HUNGAROTON)を聴く。カッコイイ宗教曲だ。高らかなファンファーレから始まる荘厳な「テ・デウム」、神秘的な「ミサ・ブレヴィス」。変化に富んでいて退屈しない。





土曜日, 4月 12, 2003

マーガレット・アトウッドの『昏き目の暗殺者』(早川書房)をちょっと読んだのだが、やめた。無論、つまらないわけではない。まったく逆だ。ミステリーであり、SFであり、純文学でもある。そして仕掛けられたメタ構造。これは傑作に違いない。あまりに凄すぎて、現在の時間の取れない状況で、ポツリポツリと読みたくないからだ。連休にガーと読むつもりだ。

代わりに短編を(再)読みたい思う。『positive 01』(書肆風の薔薇)。この短編集はピンチョン以後のポストモダン小説のアンソロジーで、最初にこの本の存在を知ったときは狂喜したものだ。惹句の「小説は斬新だ」に偽りはない。既成の「小説」の概念を解体しつつ、新たな「小説観」を創造する「小説」たち。ピーター・ケアリーからウィリアム・ヴォルマン、デイヴィッド・フォスター・ウォーレス、ハロルド・ジェフィなんかはこのアンソロジーで知った。訳者も柴田元幸、越川芳明、佐藤良明らの信頼のおけるメンツであるし、何より風間賢二が加わっているのが心強い。
それにしても予告にあった02以下は出ていないのだろうか。




チェンバロって、ピアノと比べると、音的にかなり「喧しい」と思う。だから愉しく、そしてときに激しく響く。曽根麻矢子の弾くJ.S.バッハ「イギリス組曲第2、3、6」(ERATO)はそんなチェンバロ独特の響き──愉悦と迫力に満ちている。2番のブーレやジーグはちょっとおどけた感じが実に面白く愉しい。打って変わって、6番のプレリュードは素晴らしく劇的だ。技巧的に冴えも効いている。そして最後のジーグ。これは壮絶と言ってもよいだろう。実はこれを聴いて、僕はチェンバロの表現力の凄さを実感したのだった。改めて聴いて、やっぱり凄い。


アンサンブル・モデルンによるジェルジュ・クルターグ曲集(György Kurtág "Song Cycles", SONY CLASSICAL)。ツィンバロンがじゃらじゃらと掻き鳴らされる「Message of the Late Miss R.V.Troussava, Op.17」が強烈だ。色彩的でエキゾチックな伴奏を背景に、ソプラノがエネルギッシュにギャーギャーと叫びまくる。ちょっとシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』みたいな感じ。

とくに第二集「A Little Erotic」の第一曲「Heat」。刺激的な題名そのままで、まさにエロティックにヒートする。かなりの高音で、微妙な音程を変化させること自体が最高に超絶技巧なのであるが──しかもかなり息が長い──高音から一挙に下がってくるとき、まるで悪意めいた「哄笑」になっているのがとても印象的で、一度聴いたら忘れられない。クルタークの「音響」は面白すぎる。





木曜日, 4月 10, 2003

デュラン・デュラン『ニュームーン・オン・マンデイ』のPVの冒頭のセリフ。あれがクルト・ワイルの『三文オペラ』から取られているのを知ったのはずっと後のこと。マウチェリー指揮RISAシンフォニアのCD(DECCA)を聴いたときだ。あー、あれがそうだったのか、と思ったのも束の間、次の「マック・ザ・ナイフ」(メッキース)のメロディーを聴いて、これも聴いたことがあるぞ!そして「大砲ソング」も、と狂喜した次第。

『三文オペラ』ってほんとうにいろいろなところで耳にしていた。ワイルの音楽だというのを知らなくても『三文オペラ』の「ナンバー」はいろいろな歌手が歌っている。マウチェリー盤は由緒正しきワーグナー歌手ルネ・コロに、ポップス界の女王的存在のミルバ、それにマレーネ・デードリッヒの再来のようなウテ・レンパーという異色のメンバーの共演が興味深かった。

しかしそれにも増して僕が気に入っているのが、アンサンブル・モデルン盤(BMG)。なんといっても現代音楽の精鋭集団のアンサンブルモデルンが「わざと下手に聞えるように」(なんといっても「三文オペラ」なのだし)最強のテクニックを披露しているのが、ニクイ。そこにロック歌手のニナ・ハーゲン(ピーチャム夫人役)の毒々しいシャウトが絡み、異様だけととても面白い演奏になっている。また、マウチェリー盤ルネ・コロの堂々としたメッキースと違って、モデルン盤ではMax Raabeがいかにも優男的だし、同じく、ミルバのようなドスの効いた低音ではなくて、可憐でちょっと甘えた感じのTimna Brauserのジェニーがいかにも「らしく」て愉しい。二人のデュエット「Pimps' Ballad」なんかは本当に安っぽくて、まさに「三文オペラ」的、戸梶圭太的「激安」な世界が繰り広げられる。


水曜日, 4月 09, 2003

今日も帰宅が11時過ぎてしまったが、ムソルグスキー『展覧会の絵』の中の「キエフの大門」を弾く。やっぱりオクターブ/和音をガンガン鳴らすのはストレス解消になる。ラフマニノフのプレリュード1番しかり、ブラームスのラプソディ2番しかり。
ちょっとセンチメンタルなメンデルスゾーンの「アルバムの一葉」はちょっと指がもつれて思うように弾けないな。週末にでもきちんとさらおう。

今聴いているのは、リリヤ・ジルベルシュタインのリスト曲集。「バッハのテーマによる幻想曲とフーガ」がすごくかっこいい。バッハの綴り”BACH”はそのまま「音名」になるので、これをテーマにしたもの。シューマンの「アベッグ変奏曲」も同じ発想だが、リストは厳格な、何重にも仕組まれたフーガとピアノのヴィルトゥオジティで勝負する。ジルベルシュタインもスケールの大きい演奏を聴かせる。彼女の確かなテクニックはバラード2番でも同様、素晴らしいプレゼンを披露し、なんといっても低音のスケールが荒々しく情熱的に響き渡る。やはりかっこいいの一言。
一時DGから集中的にリリースされていたジルベルシュタインのCDだが、最近はぜんぜん見かけない。どうしたんだろう。



火曜日, 4月 08, 2003

今、モニク・アースのラヴェルを聴いている。決してヴィルトゥオーゾではないし、とりたてて個性的な演奏ではないのだが、モニク・アースというピアニストの弾くラヴェルはとても気に入っている。もちろん『夜のガスパール』には情熱的なアルゲリッチやまさに個性的なポゴレリッチ、『クープランの墓』の「トッカータ」なんかはディボーデのキレやパスカル・ロジェのスピード感をウリにしたもの、『高雅で感傷的なワルツ』は強烈な打鍵のアルゲリッチなど多士多彩なCDがある。

でも、モニク・アースのラヴェルは、味があるというか「雰囲気」があるというか、つまり「印象批判」でしか語ることのできない魅力がある。技術的な洗練を競い合うのではなく、しかも洗練された言葉で批評される「対象」でもなく、言わずがもなな「雰囲気」、音楽。
『ハイドンの名によるメヌエット』なんかとてもいい雰囲気を醸し出している。