金曜日, 11月 15, 2002

スーパーエディターこと安原顯氏が癌で余命が1ヶ月以内というのを本人がbk1のサイトで述べられていて、びっくりしました。

ヤスケンのブックサイト

安原顯氏というと、その歯に衣着せぬ物言いが「何、この人?」とか思ったりしましたが、その口調自体がわりと好きだったりするんですよね。
そして彼の編集で真っ先に思い出すのが、角川文庫から出ていた『読書の快楽』や『活字中毒養成ギブス』あたりの「ぼくらはカルチャー探偵団編」による一連のブックガイド。これらのブックガイドにはいろいろとお世話になり、この本により読書の幅もかなり広がりました。

今手元にあるのは『活字中毒養成ギブス』だけですが、ここに安原顯氏の「文庫化希望リスト」にスーザン・ソンタグの『反解釈』があって、今は無事ちくま学芸文庫になっているのを見るにつけ、とても感慨深い気がします。

それにしても「ヤスケンのブックサイト」では、相変わらずハイテンションの文章が綴られており、とても癌患者とは思えないバイタリティが感じられます。とくに10月24日の編集長日記!で、ミシェル・フーコーの「コレージュ・ド・フランスでの講義集全13巻」の刊行に際し、「この、本の売れぬ、超貧乏かつ白痴豚国家日本にも、「筑摩書房」のような会社がまだ存在することに超感動し、希望もわいてくる」とかなり飛ばしています。

フーコーは難解なイメージがあってなかなか手が出せなかったのですが、「講義集」だったら取っ付きやすいかな。笠井潔の『オイディプス症候群』の影響もあり、ちょっとトライしてみたい気になりました。

木曜日, 11月 14, 2002

ゲイであることをカミングアウトした元NFL選手エセラ・トゥアオロ(Esera Tuaolo)氏の「夫」ミッチェル・ウェアリー(Mitchell Wherley)氏のインタビューがAdvocate のサイトに載ってました。

Husband to a gay NFL player


この記事によると、ミッチェルが最初にエセラと会ったのはミネアポリスのマクドナルド。ミッチェルはエセラのことを魅力的で美しい声の持ち主だと思ったが、そのときは、エセラは自分のことなんかに目もくれないだろうと思っていたそうだ。
しかし1ヶ月後二人はミネアポリスのゲイ・バーで再会する。ミッチェルは電話番号を教え、そしてエセラから電話が掛かってくる。こうして二人の交際が始まった。
二人のデートは金曜日に会って、日曜日に別れる(みんなそうだよね)。二人はヨーロッパに旅行にも行ったそうだ(しかもミッチェルの家族同伴で!)

もちろん相手はNFL選手という有名人。二人はチームのホームタウンを避けてデートをし、ミッチェルが試合を見に行ったときには、彼の「肩書き」は「エージェント」だったり「マネージャー」といろいろと工夫を凝らしたそうだ。ミッチェルはテレビでボーイフレンドの活躍を見、彼からの電話を待ち、その電話で彼を励ました。

面白いのはミッチェルはもともとアメフトのファンではなかったが、エセラと付き合うようになってからファンになったということ。そしてエセラは料理好きで腕前もかなりのものらしい。
まあ、ちょっとノロケの入ったインタビューですね。

水曜日, 11月 13, 2002

シオドア・スタージョンの『たとえ世界を失っても』を訳した大森望氏だから、その文章にいつも何かしら期待していたが、所詮他の評論家と変わらなかったのかと思うと、とても残念な気分だ。

有名な大森氏のサイトの11月の日記には《NEXT賞》の所感が書いてある。その内容をひとことで言えば「同性愛=変態」ということだ。過激な作品をただ単に明快に表しただけなのかもしれないが、どうしてこんな、まるでやる気のないB級映画に「官能」や「禁断」という興味本位の言葉をくっつけて売り出しただけのような表現しか出来ないのだろう(その作品は同性愛者を変態として、すなわち差別的に描いているのだろうか)。

そして「変態的セックスがフィーチャーされている」とあるが、言わせてもらうと、同性愛者が同性とセックスすることはまったくの「自然」で「正常」なことだ。その代わり異性愛者(両性愛者ではない)が同性とセックスをするならば「変態」と呼んでもさしつかえないだろう。だが、それにもかかわらず、高城響の文章のように、本末転倒な「やおい」論が存在する。

これまで大森氏のジャンルを横断するような、それでいながらジャンルを尊重し、そのジャンルに適した文章で綴られた評論はいつも気になっていた。SFや本格ミステリに限らず、「月刊アスキー」の連載記事でも技術偏重──専門語、新語、ハヤリ語を並べただけ──のものと違って、技術の冷静さよりも、なんとなく「コミュニティの暖かさ」を感じさせるものであったが、最近はどうもつまらない、と感じていた。いや、「同性愛=変態」という短絡的な書き方を見て、「つまらなかった」ことを「理解」しただけなのかもしれない。それともただ単に大森氏が年齢に相応しい「常識」と「良識」がその文章に伺えるようになったから、そう感じるのかもしれない。

ホモセクシュアルという言葉は1868年、あるドイツ人医師によって考案されたと言う。精神医学の擬似(えせ)科学思考は、より良い支配のための振り分け(切断)を通して、粗野な偏狭さを文明化された偏狭さへと取り替えたに過ぎない。
何故、社会はいつも精神医学者ばかりに発言させ、──臨床における「症例」の悲しげな繰り言は別として──同性愛者たちには発言のチャンスを与えようとしないのだろうか。

ギィー・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(関修訳、学陽書房)








火曜日, 11月 12, 2002

Blogger といえばジャーナリストでオープンリーゲイのアンドリュー・サリヴァン氏も使ってましたね。

http://www.andrewsullivan.com/
BLOGGERを試験的に使ってみようと思います。
更新状況やちょっとしたメモ(現在Radical Will)、使い勝手が良ければ本格的に使用します。

とりあえずMagritt Windowと併用。それとフレーム切るのが面倒だったので IFAME になっています。IEかネスケ6以上じゃないと見えないですね。というかここが既に見えている人には言うまでもないのですが。