土曜日, 4月 19, 2003

[SOVIET JEANS]

ここのところショスタコーヴィチやプロコフィエフばかり聴いていたためか、夢の中にまで「共産党」が出てきた……と思ったら、選挙カーの連呼だった。こんな朝早くに……といっても9時30分だが、でも、食い物の恨みよりも、睡眠の恨みのがイラだつこの頃。

そういえば下のショスタコ/プロコ/スクリャービンのCDのカヴァーで思い出したのだが、「ソヴィエト・ジーンズ」といういイタリアのジーンズを昨日は履いていたんだった。これ、随分前に買ったもので、売っていた日本のショップも今はなくなってしまったのだが、メーカー自体は今でもあるのだろうか? と探してみたら、あった。SOVIET JEANS(cl) 。赤い星がやけに目立つ以外は、どこをとってもイタリアン……あれ、 cl ドメインってイタリアじゃなくて、調べてみたら、チリだった(でもチリの男性モデルがなかなかセクシーだったのでこっちも載せておくね)。
メインの入口はこっち Soviet Jeans.com 。さすがは凝ったデザインだ。






ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲が1990円という超バジェットプライスだったので買ってきた。全15曲5枚組み。良心的な値段、というよりも、こんなに安くていいのか? と思ってしまうほどだ。
演奏は Rubio Quartet 。今も聴いているが、なかなか良い感じ。それにボックスのデザインもショスタコの音楽に相応しいモダンなもので、CD本体にも作曲者の顔が印刷されているし、ケースの側面も同様だ。値段のわりに全然安っぽくないのが嬉しい。レーベルは BRILLIANT CLASSICS で、「complete」をウリにしており、どれもまるでレンガのような分厚さのCDボックスになっている。

それで、BRILLIANT CLASSICS のウェブサイトを眺めていたら、ショスタコ、プロコフィエフ、スクリャービンのピアノソナタ全集がカタログに載っていて、演奏者はホーカン・アウストベだった。アウストベはNAXOSから出ているメシアンがとても良かったので、彼のスクリャービンやプロコフィエフも聴いてみたい気がする。カヴァーのいかにも「ソビエトっぽさ」も良い感じ。




金曜日, 4月 18, 2003

[気になる新刊]

晶文社からアフロディーテ双書というエロティックな海外文学コレクションが刊行される。第1回目はアルフレッド・ミュッセの『ガミアニ』とピエール・ルイスの『女と人形』。『ガミアニ』はジョルジュ・サンドをモデルにしたレズビアン小説のようだ。

筑摩書房からはフラナリー・オコナー全短編集が5月に刊行。これは本当に待望の短編集だ。オコナーの凄まじさは、そんじょそこらの暴力的な雰囲気だけに与った作品とは根本的に次元が違う。『善良な田舎者』や『高く昇って一点へ』の異様さは、一読、忘れ難い。「敵意を持った観衆」取り巻かれた「恐怖」をこれほどまでに壮絶に表現できる作家はそうはいない。そういえば大江健三郎もフラナリー・オコナーについてよく言及していたな。




木曜日, 4月 17, 2003

ソフロニツキーと言えばスクリャービン。 PHILIPS のGREAT PIANISTS OF THE 20th CENTURY にはショパンとスクリャービンが半々ずつ収録されており、その名演を堪能できる。
とにかく3番ソナタが素晴らしくて、重々しく劇的な一楽章から焦燥感を掻き立てる情熱的なフィナーレまで、どこを取ってもソフロニツキーの圧倒的な表現力を感じさせてくれる。また「黒ミサ・ソナタ」のまさに異様で呪術的とも言えるエクスタシー(トリルが妖しすぎる)、「焔に向かいて」の性的興奮にも似た上昇運動も強烈だ。

いまさらのクリシェであるが、やっぱりこういうのはディオニュソス的熱狂と言うんだろうな。

水曜日, 4月 16, 2003

弾きたいけど絶対にムリだろう?と思うのがプロコフィエフ。でも大好きだ。『ロメオとジュリエット』の「モンターギュ家とキャプレット家」はなんとなく弾けそうな気がしたのだけれども、やっぱり弾けない。『悪魔的暗示』(Suggestion diablique op.4 No.4)なんかはもってのほか、いちおう楽譜は持っているけど(黄色に赤のショッキングなカバー。しかも MCA MUSIC PUBLISHING というアメリカ、ミルウォーキーにある出版社のもの)。

なのでCDを聴く。DGから出ているアンドレイ・ガブリーロフのやつ。あの超難曲『悪魔的暗示』を難なくインテンポで弾きこなしている。

『悪魔的暗示』と言えば、以前NHKでウラディミール・ソフロニツキーが弾いていたのを見たことがある。ソ連時代に、社会主義リアリズムではなく、アヴァンギャルド音楽を好んで演奏していたので当局により冷遇されていた芸術家、という扱いだったと思う。なかなかハンサムで、しかも革ジャンを着て『悪魔的暗示』をドライブしていたのが印象的だった。




火曜日, 4月 15, 2003

[シャンプー・プラネット]

ダグラス・クープランドの『シャンプー・プラネット』(森田義信訳、角川書店)を読んでいたら、ちょっと良い場面があったのでメモ。
ハロウィーンの夜、主人公の「僕」と恋人のステファニーがとっても「洗練されたコスチューム」の子供を見つけるシーン。

僕らの背後に立っているのは、黒いジーンズをはき、黒いタートルネックのセーターを着て、毛の逆立った白い小さなかつらをかぶった小さな男の子だ。そばには、同じく毛の逆立ったかつらをつけ、小さな黒いドレスを着た女の子がいる。ふたりは手をつないで、静まりかえった通りのまんなかを歩いてくる。袋をキャンディでいっぱいにし、これからまたどれだけのキャンディがもらえるのかと期待に心を燃えたたせながら。
「アンディとイーディだよ」僕は囁く。天国へ行き、ようやく幸せそうにしているアンディ・ウォーホルとイーディ・セジウッィクを見て、うれしくなる。
子供たちは、まるで夢のなかに生きている。

p.193

解説にもあるように、クープランドの「小説」って、ささやかでさりげないことが語られている「四コマ漫画」が積み重なって出来ている感じ。ちょっとしたエピソードがさりげなく心に留まる。

だからってわけじゃないけど、BGMはドビュッシーの『前奏曲集』。ピアノはミケランジェリ。<沈める寺>はノスタルジックで美しい。


月曜日, 4月 14, 2003

昨日、掲示板に書いたジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』を適当にパラパラとめくってみたが、開いたページ、目に付いた場所、どれを取っても含蓄のある言葉で埋め尽されている。示唆に富んでいる。勇気付けられる。さすがだ。

ゾルターン・コダーイの『ブダバリ・テ・デウム(ブダ城のテ・デウム)/ミサ・ブレヴィス』(HUNGAROTON)を聴く。カッコイイ宗教曲だ。高らかなファンファーレから始まる荘厳な「テ・デウム」、神秘的な「ミサ・ブレヴィス」。変化に富んでいて退屈しない。