金曜日, 3月 26, 2004

[更新状況]

Iron Gate に高橋哲哉 『デリダ──脱構築』を追加しました。


火曜日, 3月 23, 2004

[有罪責任abc]

僕のレビューを読んでくださっている「松谷加平の生活と意見」が、「オタクの言説」について、特に、オタクを擁護するときに<利用される>「同性愛への言及」について、やはり疑問に思っているようです。このことについては、今後も「問題化」していきますが、とりあえず今の段階で「応答」したいと思います。

まず、何よりこのサイトの「ペドという単純で簡単な問題 その2」を読んで、アタマにきた(だから直リンだ)。これこそ、僕が「問題化」していること、そのものだ。

以下は今後で詳しく述べるつもりの、とりあえずの骨子だ。

a)「ロリオタ」と「ペドフィリア」の決定不可能性
上記のサイトでは「ロリオタ」と「ペドフィリア」をニ分割して、「ロリオタ」の外部に「ペドフィリア」を設定している。東浩紀の議論で言えば「実際の小児性愛者」と「オタク」だ(以前書いた『動物化するポストモダン』他のレビューを参照)。
まず、この二分法がおかしいということ。よって、現在女性誌を中心としたマスコミの、現実の事件を前にしての「オタク批判」に、ある種の「正当性」を見ること。

b)オタクのパルマケイアー
ペドフィリア=実際-の-ではない<オタク>の問題点。ゲイのパフォーマティヴィティとそれによって導かれるオタクのパフォーマティヴィティ。

c)善悪の彼岸
オタクが「同性愛」について「言及」するとき、<誰>が「スケープゴート」にされるのか。<何>が「反復」されるのか。
上記のサイトに見られるような「アナロジーの罠」、つまり
”ゲイだってそうですよね。ゲイである事はかまわないが、男性が男性をレイプをしたら捕まる。当然ですね。”
という<卑怯な>「言説」についての分析。

こういったことを、今後の「レビュー」において徹底的に「問題化」して、「オタクの有罪責任」を問いたいと思う。


日曜日, 3月 21, 2004

[更新状況]

ディスクレビューにグスタフ・ホルスト 『惑星』を追加しました。